東京都府中市、祖父が東京競馬場長をしていたことから馬小屋を改造し、そこで生を受く。
(その日3人の使者が来たとか来ないとか・・・後日私だけの感想)
うたた寝をしている間に、巷で「ウェストサイドストーリー」なる映画が話題になり、それに感動し、不良高校生は学業を得意とせず、当時大流行のロカビリーなど若者の中心的憧れの場、日劇に研究生として入団、ダンサーを目指す。すぐ退団。
が、僅か3年半でフジTV「クラウンアワー」の振り付けを任されるなど、才能を発揮。 
やがて日劇退団理由と同じく、またも大御所の振り付け師に(男性)交際を求められ、ダンサーの路を断念。当時から振り付けに用いたラテンパーカッションに、より興味を引かれ、パーカッションを前面におしだしたラテンコーラス「ザ・ウォーカーズ」を結成、それなりに売れはじめる。
時を同じくして、ラテンの世界で大スターであった「あい御影」(当時 御影愛子)にパーカッショニストへの転身を促され、分かれ道を右に曲がる。
右の路は曲がりくねり、上になり下になり、転んだり、宙に浮いたり、膝の間から顔を出す、などなどしながら現在に至る。